2016.09.29. 15:06
現事態を見る知ることのできない痛み
どこに行っても、教会長に会っても、食口に会っても、企業の従業員、機関の幹部、誰もが同じように「これではいけない。何か方法はありませんか」と尋ねてくる。
どのように答えようかと悩みながら「時が解決してくれますよ」と答えれば「そうすれば月日だけが過ぎ去っていきます」と反論しながら「天も無情だ」という。
天は本来、無情なものである。
天の心は、人間の心について行く。
天に有心があれば、その心をつかむため、地ではとんでもないことをしたりする。
お父様が聖和され「何をされているのか分からない」という人もいる。
そんな時「お前も死んで見ろ。死ねば何もできない」と一喝する。
死んだ者を生かすのは生きている者である。
死んだイエスを生かすのも人であって天ではない。
死んだ仏を生かすのも人であって天のすることではない。
聖和されたお父様を生かすことも私たちの責任であり、お父様の責任ではないということが何故わからないのか。
家庭連合の指導部は聖和されたお父様は殺し、生きたお母様を更に生かそうと、死に向かうことばかりをしている。
死即生、生即死の精神を忘れて久しい。
お母様は、お父様がいらっしゃった時よりも堅固な城に閉じ込められておられる。
門を守る門番が男から女に代わった。
その門番はただの狡猾なヘビではない。
本来、メイドとして入って来たが主人に気に入られ、主人の子供たちを皆追い出し、主人のように、相続者のように、夫人よりも大きな顔をしながら権力を享受している。
その主人の前に服属する小羊(公職者)たちは、ただ主人から与えられる秣を食べながら、主人のふりをして寄生する者達である。
そのメイドは主人の仮面をかぶり、男たちを僕のように取り締まる。
頭の良さそうな若い僕もいれば、忠実にいろいろと気づかいながら達人のように生きる僕もいる。
本を書いて売り、お金を稼ぐ鍵守のような僕もいれば、外をぶらつきながら全く心にもない主人を誇る言葉を言ってまわる僕もいる。
このような官女や僕たちの行いは、自分の主人であるお母様を生かすのではなく、お母様を棺に閉じ込め、自分の生きる道を探す蛇の子である。まむしの子である。
彼らが毎日食べる物は毒が入った食物であり、彼らの飲み物は毒酒である。
その毒がすでに全身にまわり、もはや治療もできない。
「悔い改めろ」という言葉は一般の人に語られる言葉となり、自分たちは主人のふりをしながら生き永らえる準備をする。
お母様にお会いするためには、実の子女たちも官女の検閲を受けなければならない。
そして単独面談は誰にもできず、常に傍らにいて何を話しているのかを監視する。
機関長も何かあったら必ず感想文を書きながら忠誠を誓うようなことを毎回している。思想の検証を頻繁に行っているのである。
夫人に独生女の業績を称えなければ「何が不満なのか」と聞かれる。そのような言葉を聞くと、二度三度腰を曲げ頭を下げて「違います。お母様のおっしゃるとおりです」と御心を乱した自分の過ちを贖罪しなければならないという。
機関長や企業体長、教区長はもちろんのこと、一般の教会長も検閲の対象となった。
忠誠心も等級で把握されるようになった。
幼い王子が治める凍土の地、北朝鮮よりも、ドゥテルテが治めるフィリピンのとてつもない粛清を見ながら、彼らはお母様にまた違った粛清を提案するかもしれない。
米国のホテル売却の件で官女の気分に触れたP某理事長が、先週、粛清されたという。
Yも先日、粛清の対象であったが官女に上納金を納めることにより生き残ったという。
そして、彼を粛清しようとしていた若い僕たちに、一人ずつ手を加え、彼らと再結合したという。
Yはヤクザのボスのように振る舞っている。
彼を宗教指導者と見る者は今ではいない。
すでに、彼らは内部の拳の世界を平定した。
ところが、すでに彼の組織員たちは知っている。いくら自分たちが苦労して財を投入しても、現場が動かないことを。
協会の統計数値は完全にお母様を欺くために作られた数値であることを宮の官女も内侍も知っている。
お母様だけを騙せば自分たちの栄華は保証されると見ているのであろう。
天を欺くことがとても容易であること彼らは知っている。
お母様も、常に心気にふれる子女たちよりも、きれい事、短言だけを語り、ガラスケースに座らせて山海の幸でもてなす官女や僕のほうが可愛いのだろう。
しかし、悪魔であるヘビの舌によって踊る踊り子であるということをお母様は知らなければならない。それを知っている嫁たちも、彼らによく見えなければ自分たちの資金を調達することができないので何も言えずにいる。
自分の父母が他の者の手によって徐々に死んで行くにもかかわらず、自分たちの資金源が惜しくて何も語れないこのような者たちを指導者として侍る人たちも、可哀そうなことこの上ない。
彼らは主人であるお母様を自分たちが管理してきたと思っている。
自分たちでなかったらその位置にいることができず、数十年もの間、助けられてきたお母様だから、どうして自分たちを追い出すことができるのかと、彼らは笑う。
本当に私たちは修羅場を迎えたのだろうか。
心の痛いことである。
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