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2016년 8월 30일 화요일

真のお父様の聖和4周忌、聖和祝祭の遺憾

2016.08.29. 22:39
真のお父様の聖和4周忌、聖和祝祭の遺憾
  
文化は人とその共同体の意識を代弁し、品格を表す。文化的行事を企画する時は、その行事のテーマと価値を代弁しなければならない。

今回、聖和4周忌が聖和祝祭と命名された。原理的に、死は悲しいことではない。しかし、この祝祭は、単に楽しむだけの祝祭ではなく、霊性の祝祭でなければならず、神聖な祝祭でなければならず、心情相続の祝祭でなければならない。

しかし、今回の聖和4周忌の聖和祝祭は、一体何を示しているのだろうか。まず第一に、数十億のお金をかけて行事を準備し、どのような舞台よりも華やかさの極致を示した。人によっては「真のお父様は偉大な方だったので、この程度のことがどうして問題なのか」というかもしれない。その言葉は正しいのだろうか。私たちが侍ってきた真のお父様は、人類のお父様として崇められている。誰がどのように言ったとしても、お父様はみ旨を完全に全てを成就することができなかった。たとえお父様の祈祷文の一部を寄せ集めて「すべて成された」と語られたとしても…

果たして、お父様が望まれた天一国が実現されたのだろうか。分断の痛みにより北朝鮮の兄弟たちが飢餓と抑圧に苦しんでおり、世界の各地では難民の苦痛とテロの恐怖、地震に苦しんでいる。正直、私たちの教会の内部を見てみよう。日本食口の経済的苦痛はいうまでもなく深刻である。また、誰の善し悪しを越えて、真の家庭が破綻の状況にある。教会からは食口が明らかに減り、指導者たちは道徳的弛緩が極に達している。もっとも、このような状況にあっても、協会の最高指導者と呼ばれる人たちは自分たちの子女の結婚式を超豪華に行っている…

考えても見ろ!一体、誰の為に今回の行事が準備されたのだろうか。この世の常識でも、子が父親の命日にパーティーを楽しむとは。このような家庭は育ちが悪いなどと言われないだろうか。

行事の全体を見ながら、一言でいって「石灰の塗られた墓」という言葉が浮かんだ。本当に、私たち祝福家庭はこれほどまでに意識がなかったのだろうか。人気歌手が歌を歌い、2世の子女たちが踊り、また、聖和追悼会に賞品とは。食口が皆行ってしまうのではと思い、引き止める為に景品を準備したというが、ここまで来れば情けなくて言葉が出ない。何よりも統一家の全食口が一番重要に思い待っていたのが、真のお母様による追悼の辞ではなかっただろうか。ところがその短いみ言葉の中で、お父様は一度だけ言及された。他の集会ではともかく、真のお父様の聖和追悼会の中心は真のお父様のはずなのに、本当に不思議な光景が続いた。司会を務めたジョ・ソン*氏は、ひたすら真のお母様に拍手、拍手、拍手…この行事を企画した指導者の意図や意識には、初めからお父様はなかったようである。

真のお父様が私たちに残されたものは何だったのだろうか。想像もできないお金を使ってパーティーを楽しまなければならないのだろうか。そのように祝祭をすれば本当に嬉しいのだろうか。ああ!お父様の涙が懐かしい。切なく語られるみ言葉が懐かしい。「私は今でも眠ることができません。世界の各地で苦しむ人類を考えると… 世界の各地で共産主義の支配の下で真の父母の名を呼びながら死を迎える食口を考えると…」私たちはお父様と共にどれほど涙したことだろうか。涙の消えた今の私たちの姿、私たちは本当にお父様の涙を忘れてしまったのだろうか。

……お父様に尋ねた。「お父様、聖和祝祭がとても華やかで素晴らしいじゃないですか。楽しまれましたか」お父様は何も語られなかった。そして、ヒクヒクと肩が動いていた。そして去って行かれた。「お父様、それでも私たちに一言語ってください」じっと見て一言語られた。「私の涙を覚えておいてほしい……」

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